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【父が残してくれたもの】大切な人の死と向き合って気づいた“生き方と習慣”の本質

日常

正直、「ブログに書くにしては個人的かつ重い内容すぎるかも、、」
そんな気持ちもありましたが、私が自分の人生について発信する上で避けては通れない内容でした。

そして何より、“父” という存在は私だけのものではなく多くの人にとって、
人生のどこかで大きな影響を与える存在だと思っています。

すでに別れを経験した人もいれば、まだ当たり前のようにそばにいる人もいる。
関係性も、距離感も、人それぞれです。

それでも、

父の生き方や背中から何かを受け取っているという点では、
きっと普遍的に共通している部分があるのではないか?

そんな私なりの仮説のもとで、
私の実体験が少しでも誰かの救いになれば嬉しい限りですし、
もしかしたら父親もこの記事を読んでくれるかもしれない。

そんな想いで書いた記事です。


父を美化するためのものでも、
感動的な物語を書きたいわけでもありません。

父の死と向き合う中で、私自身が何に気づき、
どんな生き方を選び直そうとしたのか。

その過程を正直に言葉にすることで、
もし誰かが自分の人生や習慣を見つめ直すきっかけになったなら、
それ以上のことはありません。

「日々の習慣化」についての記事はこちらをご覧ください。

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私の父について。そして、私は父をどう見ていたのか

父は、とにかく真面目で、仕事熱心な人でした。

69歳、肺がん闘病生活で認知が入り、
記憶が薄れていく中でいつも口にしていたのは

「いつまでもこんな所で休んでいられない。明日には職場に戻らないと」

父がいかに真面目に仕事と向き合っていたか。
改めて感じた瞬間でした。

私の家族は、母親と私を含め男三兄弟の五人家族。
習い事や進学、思い返せば何不自由なく生活させてもらっていたこと、感謝してもしきれません。

ただ、目に見える形で”父から何かを教わった”という記憶は少ない。

記憶に残っているのは、

  • 手で口を塞がない大きなくしゃみ
  • 仕事で疲れて帰ってきて暴飲暴食
  • 仕事休みの日にゲームをしながらタバコを吸う姿

当時の私は、父の嫌な部分にばかり目を向けていたのだと思います。
もっと違う所に目を向ければ、たくさんの愛情に包まれていたのにも関わらず。


親戚、近所の人、仕事関係の人。
父が亡くなったあと、多くの人が家に足を運んでくれて、
こう言ってくれました。

「本当に人に愛される人だった」
「世話になったことがある」
「いいお父さんだったね」

その言葉を聞いたとき、
私は少し誇らしい気持ちになりました。

同時に、
「自分は父のことを、ちゃんと見ていたのだろうか」
そんな問いも浮かびました。

子どもにとって、親はあまりにも近い存在です。
近すぎて、良さも、凄さも、当たり前になってしまう。

尊敬もあったし、反発もあった。
もっとこうしてほしかった、と思うこともあった。

でも今振り返ると、
父は日々、目の前の人を大切にすることで、
自分の人生を積み上げてきた人だったのだと思います。

入院生活の中で、父が最後に教えてくれたこと

父が亡くなったのは2025年8月29日。

8月の頭から緊急入院になり、ほぼ寝たきり
最後の1週間はただ手を握り続けることしかできませんでした。

今振り返れば、無言で手を握り続けていたあの日々の中で、
父は私にたくさんの事を教えてくれました。

そして残酷にも、父の死によって初めて感じたような気持ちがありました。
それは、

父親である以前に一人の人間。完璧な人ではない。

ということ。
そんな事は、子供の頃にいつも父が見せてくれていたはずなのに。

父親はスーパーマンではないのだ。
もっと言えば、私もスーパーマンではない。
つまり人間は何者でもない。

「このままではいけない」、自分の人生と本気で向き合った

父が亡くなってから、
私の中にいくつかの問いが生まれました。

  • 自分はこれまで、何と戦っていたのか
  • 自分は、これからどんな人生を生きたいのか
  • 誰に認められたかったのか

そこで、自分の人生を徹底的に見つめ直しました。
すると、不思議なほどシンプルな答えに辿り着いたんです。

  • 誰とも戦わなくていい
  • 誰とも比べなくていい
  • 誰かに認めてもらう必要もない
答えは、ずっと自分の中にあった|2025年の終わりに|かず|1%の成長習慣と感謝の暮らし
2025年、最後の一日。 来年への期待とワクワク。 それと同時に、もうすぐ一年が終わるという少しの寂しさ。 そんな感情が、静かに入り混じっている。 振り返ってみると、 今年は本当にいろいろなことがあった。 それでも、胸を張って言える。 良い一年だった。 33歳。 ここで一度立ち止まり、自分と本気で向き合えた...

これまでの私は、
どこかで“何者かになろう”としていたんだと思います。

評価されること。
成果を出すこと。
周りから認められること。

それ自体が悪いわけではありません。
でも、父の生き方を思い返すと、何かが違う気がしました。

父は、肩書きや成果で人の価値を測る人ではありませんでした。

大切にしていたのは、
目の前の人。今日という一日。

「感謝、感謝」
父が口癖のように言っていた言葉がふと蘇ります。

人間性は日々の「習慣」に表れるということ

改めて父の人生を振り返ってみると、

毎日決まった時間に起き、
家族や周りの人を大切にして、
感謝の気持ちを持ち続ける。

それを、淡々と毎日積み重ねていただけだと気付きました。

つまり、

父の人間性は、日々の「習慣」の積み重ねから生まれたもの

「人生を変えたい」と思うなら、
目を向けるべきなのは、決意や目標ではなく、
それを深掘りしていった先にある毎日の習慣。

そしてその習慣を変えるために必要なのは意思の強さではなく、環境設計です。
詳しくはこちらの記事もご覧ください。

幸せは過去でも未来でもなく、「今」ここにある

父の死と向き合う中で、
何度も思いました。

「もっと話しておけばよかった」
「もっと感謝を伝えておけばよかった」

人は、失って初めて気づくことがあまりにも多い。
子供の頃には気付かなかった”父親としての大きな背中”はすぐ近くにずっとあったんです。

父が大切にしていたのは、
決して派手なものではなく、当たり前を当たり前として生きること。
地味に見えるような小さな習慣を大切にして、今日を丁寧に過ごすこと。

それらはすべて、
今この瞬間にしか存在しないものです。

一日一生、今日という日は今日しかない。過去でも未来でもなく”今”を生きる

それでも、その”今”を忘れそうになる瞬間があるんです。
人間である以上、どうしても過去に悔やんだり、未来が不安になったりする。

でも、この感情を味わえること自体が幸せで尊いことだと、今なら分かります。
なぜなら「瞑想」という、心のざわつきを感じた時に”今”に戻れる方法を知ったから。

気になる方はこちらの記事をご覧ください。

父が残してくれたものを、これからの人生でどう生きるか

父を超えることは、正直難しいのかもしれません。

でも、超えるのではなく少しでも近づくこと。
それで十分なのだと思います。

これからの人生では、
派手な成功よりも、日々を誠実に生きることを大切にしたい。

父がそうしてきたのと同じように

小さな習慣を積み重ね、人を大切にし、感謝を忘れない。

もし今、人生を変えたいと思っている人がいるなら、
まずは、今日一日を丁寧に生きることから始めてみてください。

その積み重ねが、
きっと未来のあなたをもっともっと遠くまで連れて行ってくれると思います。

日常日常・習慣
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